2009年夏・近況 トップページに戻る
6月27日(土)
虎と他の異類との組み合わせとしては、「虎豹」のほかに現代でも生きている言葉である「竜虎」が想起されますが、お伽草子にはそれよりもむしろ「虎狼」が頻出します。「ころう」と音読みするものもあれば、「とらおおかみ」と和語で記しているものもあります。さらには野干も加わって「虎狼野干」というのもよく見られます。
「野干」は「きつね」とも「やまいぬ」ともいいますが、お伽草子では、基本、狐とみていいようです。
でも『一切経音義』27には「狐狼野干」という組合せが出てきます。じゃあ「野干」は「きつね」じゃないじゃん、ということになりますが、それはそれ。日本に入ってからの語史を考慮すれば、「野干」の本義から離れて、日本在来の、野干に似た動物である狐なり山犬なりに紛れていったということではないかと想像します。
漢語の「野干」にしろ、和語の「きつね」にしろ「やまいぬ」にしろ所詮翻訳語であり、言葉と同時に実物が渡ってきたわけではないから、当否はともかく、身近な動物に比定せざるを得なかったのではないでしょうか。
杜甫の『杜少陵詩集』を読んでいたら、「豺狼在邑竜在野」という句が出てきて(巻4)、さらに読み進めていったら、「肉痩怯豺狼」という句にぶつかりました(巻8)。
「虎狼」ではなく「豺狼」という組合せはお伽草子作品には出てこないのではないでしょうか(たぶん)。
「豺(さい)はジャッカルだ」と、以前、仏教学の先生に教えてもらったことがあるのですが、古代中世の日本人はむろん見たことがないから、一番近いであろう「やまいぬ」などと訳したのでしょう。
「おおかみ」と「やまいぬ」は明確に区別がつけられるものかどうか。鎌倉期の辞書『名語記』には「(問)オオカミ如何。(答)豺狼也。山犬トイフ、コレ也」とあります。つまり「狼」は「豺狼」であり、「山犬」であるといいます。地方によっては狼をヤマイヌというところもあります。大陸育ちの人ならば「イヤ違うよ」とはっきり言えるかも知れませんが、日本人は「豺」など見たことないから、「豺狼」の2語で「おおかみ」を指すものと理解しても差し支えなかったのでしょう。
詩語としてならば「豺狼」は使いようがあるでしょうが、物語世界を描くのに、虎がいたほうが人里離れた情景(「虎臥す野辺」とか「虎狼の棲みか」が常套句)を表現するのに効果的だったんでしょうか。うーん。
6月26日(金)
涅槃図や十王図、六道図などの仏教画には古くからしばしば虎と豹が対になって描かれています。虎は縞模様、豹は斑点。一見してわかります。中には豹と虎皮という組合せも見られます(16世紀の出光美術館蔵「六道図」など)。日本の仏画の伝統かと思ったら、そうではなく、中国の作品にも見られるので、むしろその影響なのでしょうね(よく知りませんが)。『熊野の本地』の生まれたての王子を取り巻く動物たちは言うまでもなく、『厳島の本地』の古絵巻や『獣の歌合』も起源はそのへんの仏画のイメージを受け継いでいるのでしょう。
そういえば、日本人は虎や豹をリアルに見た人など数えるほどしかいなかったのでしょうか。『今昔物語集』に朝鮮に行った商船の船員が虎を見た話があり、『吾妻鏡』に朝鮮に亡命した武将の家来が野原で虎を射とめた話があります。清正の話も朝鮮。結局、大陸に渡った日本人の中でもわずかな人しか見ていないことは確かでしょう。
そのわずかな人が日本の絵仏師にリアルな虎の姿をつぶさに説明する機会があったかといえば、これまた可能性は皆無に近かったのでは。
しかし皮だけならばある程度流通していたようだから、絵師も見る機会はあっただろうと思います。『信長公記』をみると、贈答品としての虎皮が散見されます。中には虎皮とともに豹皮も取り扱われております。室町戦国の輸入品・贈答品の目録や室礼を描きこんだ絵画資料からはそういった獣の皮についての情報が引き出せるんでしょうね。
バイト先の自販機にウルトラサイダーという缶ジュースがあります。赤地に銀の柄がついたウルトラマンセブンの胴体前部に基づくデザインです。製造はダイドードリンコなので全国的に広まっていると思いますが、意外に見当たりません。大手メーカーのものだからレアなものとは思いませんが、とりあえず保存用アキカン欲しさにゲット。
UCCコーヒーのエヴァンゲリヲンの缶は綾波しか持ってないので、これも集めなくては…。エヴァはこれだけで十分なんですけど、せっかくですから^^
6月21日(日)
ラノベの愛読者はわたしの周囲にはほとんどいなくて、わずかな知人としか話題になりません。しかも近年は次々に新作が出て、ちょっと前に巷で騒がれた作品について誰も語らなくなるような目まぐるしい状況です。それにマンガほど量がこなせないから、ラノベ好きの人がいても、語り合える共通の作品は人気作くらい。ところが先日、月に30冊は読むというすごい人にお会いし、且つその博識ぶりに脱帽したことがありました。しかしこういう人は稀でしょう。
ところで『ライトノベル研究序説』をはじめとして、基本的にライトノベルの批評や研究は考現学的です。現代作品なのですから当たり前ですね。以前、そういう専門の方々にお会いしたとき、ラノベの価値がマンガよりも低い扱いを受けているような印象をもちました。それは近現代文学の専門の方々には、マンガが非専門で趣味的な位置づけにあるのに対して、ラノベは研究対象になり得るもので、したがって私小説とかいわゆる純文学の王道をやってる権威筋を納得させるだけの研究意義を提示しなくてはならず、また理論武装しなくてはならないから、ということみたいでした。
わたしはそっちの方面とは接点がないし、アカデミックなところとは無縁だから、いい気なものです。面白いから読んで、面白いから考えるという好事家でいいと思っています。
ではどう考えるかということですが、擬人化の方法を系譜付けるということがさしあたって面白くおもっている作業です。擬人化世界では単に横並びにしただけですが、これを文化史的に叙述していき、到達点として今日の状況をとらえ、それから未来予想図を示したいと思います(なに、この大風呂敷w)。もっともこれはラノベだけの問題だけでなく、主流である同人系のマンガ・イラスト本をも視野にいれてのことです。
ラノベの主要な問題としてはパターン化、類型化についてで、この点、お伽草子や民間説話に通じるものがあると思っています。
それから絵描きさんの台頭は吉田半兵衛や菱川派、鳥居派の登場に似た文化的現象ではないかと思っています。
まあそんなとりとめのないことをいろいろ考えているところです(ほかにやるべきことがあるだろうに…)。
日本の古典文学とは関係ないのですが、好きな本のページを作りました。昔作った画像を貼っただけの安易なものです。追って大幅に改善するつもりです。→愛書
POPさん画の『しらゆきひめ』(ポプラ社)出ましたね。さっそくゲット。すばらしい!。当分デスクトップはこれです^^
大宮駅といえば、カケルがメロンとぶど子を追って、なじみとエールに合流したところ(『アキカン!』7)。その駅前駐車場で『らき☆すた』の痛車を見ました。市街地で痛車を目撃するのは2度目。梅ヶ丘で『電撃HIME』の見事な車を見ました。なかなか見る機会がないからラッキーでした。
6月18日(木)
和歌・連歌・俳諧に『獣の歌合(けだもののうたあわせ)』を追加しました。
6月17日(水)
『文亀年中記写』という16世紀初頭の南都興福寺の記録があるのですが、感じとしては『大乗院寺社雑事記』の延長として読めるものです。その中に次のような記事がありました。
今日供養表白祈句衆人驚耳。文々句々銘心肝。参懃之老若、感涙令超過。希代殊勝。神感無疑。寺社再興、不可廻踵者也。珍重々々。
表白(ひょうびゃく)とは法会(ほうえ)を始めるに際してその趣旨を仏や人々に表明するために綴られた詩文のことです。修辞的な技巧が凝らされ、美しく格調高い漢文体をとっています。
このときは、読み上げたその文が聴く人の心を打ち、老いも若きも感涙にむせんでいたといいます。これには神仏も感応し、寺社が再興されることも疑いないと、これを記した妙音院朝乗は確信しています。
表白は、黙読する限りでは、難解で技巧的な漢詩文に見えます。しかしそれを法会という宗教的な空間で音読すると、難解な詩的言語を駆使したものであっても―おそらく正確に文意を理解できなくても―、人の心を揺さぶる力が発揮されます。『古今集』仮名序的にいえば、鬼神の心も動かす力があるということでしょう。
こういう詩文こそ、その時代、文学として生きていたものと言えないでしょうか。
そう考えると、とある研究者が提唱する〈法会文学〉なるものは最適な表現だと思います。この術語に初めて接した時(もう10年くらい前?)、これだ!と思いました。表白のほかにも願文(がんもん)とか諷誦文(ふじゅもん)とかあって、やはり中世の文献を読んでいると、上記記事のように、聴聞の人々が感動したり、あるいは法会後、文人貴族の間で詩句の批評談義が行われたりしています。
〈法会文学〉というのは、畢竟、一種のウタなんだろうと思います。ウタに通じている人からすれば、黙読してその良し悪しがわかります。普通の人ならば、それが演じられる、あるいは歌われる、あるいは唱えられることで、その良し悪しが感じ取れるものなのでしょう。後者の場合、演じ手の技量が作品の価値を左右するのではないかと思います。
したがって、本格的にこれを理解しようとすると、文学としての側面だけでなく、芸能・演出面にも注意しなくてはならないでしょう。
なお、表白や願文、諷誦文とは構成や目的を異にしますが、同様な文体と作成環境をもつ詩文に勧進帳(勧進状とすべき?)があります。頼朝の追っ手からのがれる義経一行の物語の中で、弁慶が読み上げた、アレです。これは法会の場で扱われるものではありません。それから、祭文(さいもん)もしかりです。これには仏事の中で使うものもありますが(北斗法とか妙見法とかのとき)、泰山府君祭をはじめとして、おもに陰陽道の祭事の中で使います。これらは〈法会文学〉と同種のものですが、しかし〈法会〉には当てはまらないので、括りとしてはもう少し違うものがあるかな、とか考えています。
夏コミのサークル参加の当否が決まり、いろいろな同人系サイトでスペースの番号やサークルカットを公開しはじめていますね。また暑い夏の到来か〜。楽しみだな〜。祝祭日ゼロで、やることいっぱいの6月とは早くおさらばしたいものです。
一昨日から、Yahoo!カテゴリからもこちらに入って来れるようになりました(カテゴリ一覧>芸術と人文>文学>文学史)。
6月9日(火)
和歌・連歌・俳諧に『魚(うお)の歌合』を追加しました。
動物の詠む歌ということではありませんが、十二支を詠み込んだ歌や句というのはいろいろあるものです。一首(句)に1つずつで全十二首(句)のものもあれば、十二支全部を取り入れたものもあります。江戸初期の狂歌集として著名な『雄長老百首』には西行が詠んだ歌がみえます。
むまひつじさるとりいぬはそちへいね うしとらぬさへうきなたつみに
この歌は西行物盗み譚の中に見える歌としても著名です(花部英雄『西行伝承の世界』参照)。
わたしの手許にある『馬書』(江戸中期写)という馬医書には、まじない歌がいくつか収録されていて、その中に十二支を2つに分けて取り入れた二首が載っています。
五チウシヲミルウタ
巳午ヨリカウシキテヲフキソメテ ソウノテウシハ寅卯ナリケリ
丑未辰戌一コツサルトリニ ヒヤウテウフケハ亥子ハンシキ
さっぱり意味が分かりませんorz ちなみにこのあと「十二子呪文次第」として十二支の歌十二首が載っています。それぞれの日に応じて唱えるべきまじない歌が決まっていたみたいです。
『ネギま!』のゆえ吉ではありませんが、珍しいの飲み物には目がありません。小田急線の某駅売店に「おいしいミルクバニラ」という紙パックの乳飲料があったので早速ゲット。熊本の酪農業の組合が製造したものでした。飲むバニラアイスでした。個人的にはアリです。飲むヨーグルトもあるわけですから。
6月8日(月)
和歌・連歌・俳諧に『十二支歌仙歌合色紙帖』を追加しました。十二支の動物たちの詠んだ歌です。
6月7日(日)
顔料・染料といった絵の具や色名についてはいろいろな本に詳述されているし、『日本文学色彩用語集成』のような便利なものもありますね。ところが色名の配列についてはどうも見当たらないので、困ったものです。以前、戦国〜江戸初期の某公家が所蔵する謡本について調べたことがあるのですが、この家では本の題簽(タイトルを書いて表紙に貼った小紙)を色分けして整理していました。メインは赤・白・青・黄の4色なのですが、順番がわかりません。
現代みたいに1赤/2白/3青/4黄が定着するのはいつなのでしょうね。室町時代の『暮露々々の草子』というお伽草子には「青黄赤白はそめりやすし」というフレーズが見えます。『仏鬼軍(ぶっきぐん)』には「青黄赤白の錦の鎧・直垂」と見えます。江戸前期の『伊吹童子絵巻』(個人蔵)にも「青黄赤白黒(じやう・わう・しやく・びやく・こく)の色々まちまちなり」と見えます。してみると、1青/2黄/3赤/4白の配列で言い慣わすことは江戸前期頃まで見られたわけで、戦国時代に色分け分類する場合、その配列は後者のほうが可能性としては高いのかも…。
見にくい!という御意見がありましたので、とりあえずトップページのレイアウトを大幅に変更しました。フレイムをなくしたので、だいぶ見やすくなったかなーとは思いますけど…。
6月3日(水)
5月30日の条に紹介した三級という人ですが、どうやら名古屋の蓬左文庫(尾張徳川家の蔵書が収められています)に所蔵される『源平盛衰記』の書写者と同一人物のようです。『源平盛衰記』は全48巻から成る大著です。奥書には次のようにあります。
此全部一筆終書写功者也
于時慶長十六年季冬下旬
玄庵三級(花押)
つまり、慶長16年(1611)の冬に全48巻を一人で書写し終えたとのことです。
蓬左文庫本は幸い写真版が出ているので、今日、それと見比べてみたところ、同筆とみていいようです。実は玄庵三級については論文があるのですが、それを収録している本を手にしていないので、まだ確信が持てないのですけどね…。
ところで、『醒酔笑』という江戸初期の笑話集を読んでいて、ふと思ったのですが、落語ネタがちょくちょく出てくるものですね。いや昔から知られていることで今更なのですが、そういう方面に気をつけて読んでこなかったので、あらためて読みかえして驚きました。
「品川心中」の解説や落語の辞典の類にも書かれていないようなので、ちょっと気になる話を挙げておきます。
巻之四の最後の話なのですが、こういう内容です。ある人が、恋しい若者が東国に去るのを悲しんで大津まで送っていきました。帰路、若松が池で身投げを決心します。そして帯を解いて池に入り、頭のきわまでつかったところで、気がかわって陸にあがって一首詠みました。
君ゆゑに身を投げんとは思へども そこなる石に額あぶなし
以上です。馴染みの花魁(おいらん)に心中を持ちかけられ、一旦は承諾しますが、いざ飛びこむ段になってする言い訳の中身がこの歌に似ているんですけど、どうでしょう。出典とか典拠とかいうのではなく、発想的に心中の場面に影響を与えているように思えるんですけど。う〜んw
5月30日(土)
江戸時代初頭に活躍した公家に中院通勝(なかのいん・みちかつ)という人がいます。『源氏物語』の注釈書の中でも大著といってよい『岷江入楚(みんごうにっそ)』という本を著した人で、当代の古典通でした。この人の弟に三級という人がいます。この人は書をよくした人のようです。三級筆「千載集切」が手に入ったので、「崇徳院御製」の字だけですが、挙げておきます。
5月22日(金)
『秀雅百人一首』という本を入手しました。緑亭川柳作で、絵師には北斎や国芳、豊国、英泉ら著名人を起用しているので昔からよく知られているものです。中世から近世にかけての武人や学者、俳人などいろいろな人の肖像と和歌、それに伝記を載せているのでけっこう面白いと思うのですが、国会図書館HPで一般図書の検索をしてもヒットしないから、戦後、写真版とか活字本とかにされていないみたいです。あまり評価は高くないのでしょうね。今日でいえば、複数の著名な絵描きさんのイラストを添えた読む事典(たとえば『萌え萌え有毒生物図鑑』とか、あの一連の事典シリーズw)みたいなものでしょうか。
参考までに中山三柳をあげておきます。