お 伽 草 子 雑 記

お伽草子に関するとりとめのない事柄を備忘的に載せておきます。
何かのお役に立てればいいんですけどね。
需要なさそうだなあ…。

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翻刻史覚書(〜昭和期)

(1)先駆的翻刻の目的

○今泉定助(介)、畠山健『御伽草子』…明治24年、吉川半吉刊行。後に誠之堂書店刊行。

今泉・畠山が上梓した所以は「例言」冒頭に明記してある。
今日の文章は大に紊れたり。之を慨くもの亦おほし。然れどもこれ徒に淵に臨みて魚を羨むが如きのみ。かくてはいかでかその効果のあらはれぬべき。故にもしよく之を匡救せんとせば宜しくまづ今日の児童に望むべし。その方法もとより多かるべけど児童をして規律ある多くの文章を讀ましめんには其の文の平易なるべきはいふまでもなく興味も亦之に伴ふものならざるべからず。然るにわがくに古来頗佳話に富みまたよく之を綴れるものも尠からず。古今著聞集今昔物語等の類是なり。今是等の美を聚め粋を抜き古雅なるを刪り鄙俗なるを除き以て家庭の讀本にあてしめば國文上将来に益せんこと必ず大なるべし。余等常に之を思ふこと久し。唯其の暇なきを惜みたりき。然るに本年一月劇務を避けて近縣に遊びぬ。偶本書を携へいさゝか校正の労を取り以て児童の讀本にあてんとせり。是又普通文改良の階梯ならしめん微意のみ。

【凡例】
1 本書中著き文法の謬は直にこれを改めたれども一種の謡曲に属せるものなれば一定の語法と見ゆるはそのまゝに存せり。
2 本書は名詞その他の詞もつとめて漢字を填めたり。
3 これを以て家庭の讀本に満足せりといふにもあらず。特に本書中にも児童の讀本としてはいかゞと覚ゆ事も往々あり。然れども原本を刪り去らんこともさすがにて今しばらくそのまゝにさしおきぬ。

○明治34年6月刊行の『新編御伽草子』巻末に再版の広告が載る。それには次のような宣伝文句が掲げてある。

本書は既に世人の知る如く室町時代の前後にいでたる短篇小説廿三種を輯めたる叢書にして何れも珍談奇話のみ。故に其快味は普通小説に勝る事遠く文章は尤優麗にして一種の體をなせり其目左の如し。
     (中略・廿三篇題目を掲ぐ)
この古板本あ
れども今は板絶えて印本甚少し。よりて両先生嚮にこれを校訂刊行せられ紙價為に貴かりしも一時品切れと成り居りしに此度更に刊行する所なり。

○萩野由之『新編御伽草子』 (明治34年、誠之堂書店刊行)の「はしがき」冒頭部分。
新編御伽草子は、世に行はるゝ御伽草子に漏れたる、古草子を集めたるものなり。原本二十種、多く不忍文庫阿波國文庫の二印を捺したり。けだし屋代輪池翁の舊蔵本なるべし。福富草子の表紙に一紙を押して、草子の題目二十種を列挙して、新編御伽草子と題せり。蓋何人か世に行はるゝ御伽草子にならひて、續集せんの心がまへなりしと見ゆ。

また「はしがき」末尾。
今此に文学史料として校刊せんには、謡曲狂言浄瑠璃本の類、其時代の最重なるものを取るべけれども、それは世にその人あり。このはかなき草子は、さる人も見えざめればとて、此にこれを公にす。森の下草老いたらんよりは、人の結ばぬ若草こそまづ摘ままほしきよしは、十番の物争の作者も既に言ひおけるをや。

本書刊行の意義について、「はしがき」から次のことが読み取られる。
近時本邦の文学史を研究する人々は、必この草子をその材料の一つに供ふ。されどもこの草子が収むる所、僅に廿三種に止まれるは、物足らぬ心地せざることを得ず。

ここにいう文学史は元禄文学のこと。「元禄文学はこの模倣の中より、新生面を開き、この模倣文学は、足利文学の素地を耕して、元禄文学の種子は下せるなり。」

なお、凡例と云うべき文言は記されていない。
また本書について、書肆側は右翻刻本の続編として位置付けている。同書巻末広告には次のようにある。
この書は御伽草子の續編として古人の編次せるもの凡二十種もと、屋代弘賢氏の秘蔵本にて未だ世に出でざるもの今萩野先生の解題校註を請ひて新刊し前編と併せて國文学界の雙璧となれり其の目左の如し
 (中略・20篇題目を掲ぐ)
抑このお伽草子の二篇は徳川文学の種子ともいふべきものにて足利時代の文学を研究する好材料なり。而して世に刻本な珍籍なれば世の國文学ことに文学史を研究せんとするものには一日も座右を離すべか
らざる珍本なり。

ちなみに本書序文は後に『史話と文話』(博文館、大正7年)に収録された。

※今泉・萩野までは、江戸文学の前段階としての認識が強く、文学史的価値もその点を重視していた。これを鎌倉時代物語の後に続くものという観点を明確にしたのは次の平出鏗二郎の功績と言っても過言ではない。「平安文学の末路を究めんとするもの、室町文学に及ばざるべからず、江戸文学の発程を繹ねんとするもの、須らくまたこれに溯らざるべからず。」

○平出鏗二郎『室町時代小説集』…明治41年1月、精華書院刊行。精華書院は牛込にあった書肆で、主は水谷不倒である。
翻刻の目的。「緒言」より。
余夙に志す所ありて、鎌倉以降に成れる物語・お伽草子及び繪巻等の蒐集に心を潜め、聊か収蔵する所あり。然るに是等の書、多く寫本を以て傳へられて秘庫に珍蔵せられ、或はその刻本あるものも、上木の年久しきために世に遺存するもの稀なり。今この類の書を輯めて一本となし、これを刊行せんとす。是れ一にその頒布を圖り、一にその堙滅を防ぐの意に出づるなり。因つてその採る所も近時刊行せられたるお伽草子及び新編お伽草子等に漏れたるものを選びたり。
【凡例】
1 類本・異本あるは知れる限りこれを集めて、對比校讎し、以てその異同を掲示せんことを圖れり。
2 原本の誤字・脱字及び假名遣ひの誤謬の如き、努めてこれを改むることを避け、一に奮態を存することとせり。是れ啻に著者に對する禮譲たるのみならず、例へば富士の人穴草子の「は」音の「わ」音に轉呼せらるゝ場合に濁點を施せるが如き、また学者の参考に資する所あればなり。

平出以降、厳密な校訂本文をする動きが顕著になっていった。平出の影響の大きい横山重の為事にそれは顕著にあらわれている。しかしかかる作業に対して学会の評価は決して高いものではなかったようで、晩年横山は次のように回想している。
当時、わたくしは、四面楚歌であった。私の原本復刻に対しては、「下職の人の賃かせぎにすぎぬ」とか、「こんなことは当たり前のことで、学徒のなすべき業でない」という流言が行われ、これに同調する人が多かった。これは塾内の人にもあり、官学出の「研究」派の大家の数氏の主張であった。(『書物捜索』「付記」、後『横山重自傳』に再録)

(2)翻刻者列伝

今泉定助 文久3年生、昭和19年没。国学者。國學院設立に尽力する。『古事類苑』の編纂に携わり、また、『新井白石全集』や『故實叢書』の編纂などの功績がある。国文関係では、『竹取物語』や『平治物語』『平家物語』 『方丈記』の講義録がある。『古事類苑』の編纂委員を辞任した翌明治24年には、『御伽草子』のほか『教育勅語術義』を、翌年には『教育勅語例話』を刊行する。(参考)『國學院黎明期の群像』

萩野由之  明治31年、今泉・畠山『御伽草子』の後を受けて『新編御伽草子』を編む。国文よりはむしろ国史の方面出の業績が多い。『日本財政史』『戸籍制度』『徳川慶喜公伝』などの著書があり、また『古事類苑』の編纂など多くの資料の編纂に携わる。尚、嵐義人氏「萩野由之」(國學院大學日本文化研究所編輯『國學院黎明期の群像』同所発行、平成10年3月)参看。

平出鏗二郎 鏗痴とも称す。明治41年に『室町時代小説集』を刊行する。また翌年、鎌倉期から江戸前期にかけての短編物語類の解説書『近古小説解題』を編んだ。順益以来の蒐書家。だから御伽草子以前の稀覯本である鎌倉時代物語にも理解があった。そこから単に江戸文学の前身としての位置附だけでなく、鎌倉以降展開した物語として御伽草子を見る目を持っていた。横山重に与えた影響は大きい。尚、蔵書は没後巷間に流出してしまった。幸い『平出氏蔵書目録』(日光堂書店、昭和14年)によりその大概を把握できる。

島津久基 『近古小説選』(中興館・昭和2年)『近古小説新纂』(中興館・昭和3年)『お伽草子』(岩波文庫・昭和11年)などを編む。平安期から江戸前期にかけての国文研究をしていた。『近古小説新纂』は本文校訂や伝本研究もさることながら、神話学的な観点も取り入れた研究篇が示唆に富み、博物館入りにするには惜しい内容をもつ。戦後有精堂から復刊された。島津の複眼的でありながらも堅実な研究は『國文学の新考察』(至文堂、昭和16年)一つをとってみても、窺い知られる所である。

横山重 昭和前期のお伽草子研究のべースとなるテクスト編纂は、横山の独檀場と言っても過言ではない。太田武夫を助手として昭和12年から17年にかけて刊行した『室町時代物語集』全5巻は昭和48年以降『室町時代物語大成』が出るまでバイブル的存在であった。故に昭和37年に復刊されたわけである。初版は自身が設立した大岡山書店から出した。この書店から横山は折口信夫『古代研究』、中山太郎『日本巫女史』なども出している。『室町時代物語集』は『説経節正本集』や『古浄瑠璃正本集』を姉妹編としてもつ。『古浄瑠璃正本集』は後に増補改訂版が出た。昭和18年には『室町時代小説集』(昭南書房)を出す。書名から知られる通り、平出鏗二郎の後を受けたものである。中扉には『新編室町時代小説集』とある。戦後は古典文庫を中心に翻刻本文を提供していった。その後、弟子筋の松本隆信と『室町時代物語大成』の編纂を始め、昭和55年没した。

市古貞次  『未刊中世小説解題』は、横山重にとっての新資料が発掘・翻刻・書誌解題という客観的な知的生産の材料であったのに対して、発掘・書誌解題・内容研究という文学研究に踏み込んだ知的生産の成果をまとめたものであった。明治後期に出た平出の『近古小説解題』と双璧をなす。岩波の旧大系『御伽草子』は戦後の金字塔。御伽文庫版の注解としては後にも先にもこれに勝るものは出ていない。後に岩波文庫版も出した。著書『中世小説の研究』(東京大学出版会)は戦後のお伽草子研究の指針となって、今に至る。室町時代物語大成が完結して十余年。膨大な作品群による消化不良も治まってきているのであるから、そろそろ乗り越えてもよい時期に来ている。しかし中世文学を網羅した上での各論であるだけに、正攻法では落とし難い規模を持っている。